岡です。4,5ヶ月ぶりの更新です。
設Ⅳの提出が終わってからも気が抜けたようにブログの更新をしていなかったのですが久々に読み返したところ、このブログに書くことで振り返るものも多い気がするので久しぶりに書こうと思います。
現在ぼくは卒業制作に追われています。
芸術祭も終わり、気づけば11月。
展示場所は建築工房に決まりました。
工房を6人で割って使う予定ですが磯崎がドライエリアから工房に場所の変更をしたいということなので7人で使用することになるかもしれません。
ぼくの卒業制作のテーマは存在とイメージと認知です。
それだけ聞いてもよくわかんないな、と思うかもしれません。説明します。
まず卒業制作をぼくは設Ⅳを下敷きにして制作しようと考えています。
設Ⅳは高松次郎をもとに存在と不在ということをテーマにし、できたのが
これらの作品です。
椅子やテーブルにラップを巻くことで、ものの形態が変化して、そのものが持っている領域的な部分も存在として巻き込めるのではないか、と考えました。
これをまた別視点から眺めると、例えば椅子をラップで巻いていってもこの作品においてはまだ椅子として認知できるのです。しかし、それは本来の椅子の置き方を踏襲しておいているからで、一度それを逆さまにしておいてしまうと、途端に椅子というイメージは消え失せ、それが本来何者だったのかということはわからなくなってしまいます。
これはなにかというと、ヴォイドと椅子との境界線、輪郭というものが薄くなっているということなのではないでしょうか。
ぼくはラップを巻くことで椅子やテーブルの機能を奪いました。
椅子の座る、という機能が奪われたけれど椅子というイメージは残る。
形態は変化したけれど、イメージはギリギリ変わらない。
卒業制作ではこの効果を利用して作品をつくろうと思うのですが、いかんせんどうもものができません。具体的に作品が立ち上がらないのです。
存在というものの危うさというか、脆さ。少し手が加わるだけでなんなのか理解し難くなってしまう曖昧さ。それと同時にどんなに形態が崩されようがそこに残るイメージの強さ。
そんなことが表現できたらいいのかな、とも思っています。
あと2ヶ月後には提出ということで吐きそうだし泣きそうですが死ぬ気で頑張ります。
p.s.輪郭という言葉の感じの意味を調べて驚愕したのですが、「輪」はものの周囲を囲むものを指し、「郭」は囲われてできる空間、中身という意味でこれはそれぞれがソリッドとヴォイドを表しているのです。
輪郭についても考えています。