山本です。
アーティストをジョゼフ・ターナーに決めました。ぼんやりとした中にうっすら風景と光が見える後期の作品が好きです。
前回は和紙にアクリル絵の具でにじみを描き、それを自然光に通してみる実験をしましたが、土屋先生と話をして、ターナーの絵のにじみにとらわれすぎていたように感じました。ターナーの描く光にもっと焦点をあてて見ようと思いました。
作品の方向性としては、自然光の表現をテーマに考えていこうと思います。
今考えているものは、透けるものを使っての表現です。素材を探すと同時にもっと手を動かしていけたらいいです。
2015年6月18日木曜日
2015年6月11日木曜日
全体と部分
岡です。
ロスコについて考えておりましたが田原さんと話し合った結果、本質的に好き、というのはやっぱり高松次郎なんじゃないか、ということで高松次郎について考えています。
高松さんは「全体」と「部分」を考えていた人だということがわかりました。
全体っていうのは世界、とか宇宙、無限みたいなキリのないもので、部分、というのは、人、とか家、柱、犬とか単純に考えれば、一個一個名詞を持って独立できるもののような気がします。
全体を掴みきることは不可能に近いと思います。そこで、彼はある一つの物体をこの世の全体、と仮定して、その物体の中身を掘ったり砕いたりしてできたカスのようなものを部分として解釈します。砕いたモノの中には何か使える形のもがあるかもしれませんし、何にも使えないものもあります。そうやって色々な姿を見せる可能性のあるものを表し、考えることで真の全体性を図ったのだろと思います。
木の単体
こんな風に全体を見るために部分を探る、という思考方法や、恣意性を排除するように偶然をつくるやり方、次元を行ったり来たりするやり方はものすごく数学的です。
高松さんが精力的に制作をしていたのが1960~70年代。日本は高度経済成長の真っ只中、万博やオリンピックが開催され、国際化、情報化がちょうど激化した時代だったと思います。
そんな情報がどんどん多く、速くなっていく中で、全体を知ろうとしたのではないか、と。
全体を知るために部分を用いる、と言いましたが、その時触れた部分の事も考えざるを得なかったと思います。
現時代で彼の作風を持ってくるとしたら、60~70年代よりも明らかに多く、速くなった情報について考えざるを得ません。
増えた情報や増えたメディアを使って、全体と部分、次元のこと、言葉と物の意味性を考えるしかないと思います。
ということで明日のエスキスではそういう思考を含め、実験をもっていきたいと思います。
最近エスキスの時間が短くて先生と満足に話せないと思うので、そのことについて話したいと思っていますし、先生がブログを読んでくれるように差し向けようと思っています。
それでは。
ロスコについて考えておりましたが田原さんと話し合った結果、本質的に好き、というのはやっぱり高松次郎なんじゃないか、ということで高松次郎について考えています。
高松さんは「全体」と「部分」を考えていた人だということがわかりました。
全体っていうのは世界、とか宇宙、無限みたいなキリのないもので、部分、というのは、人、とか家、柱、犬とか単純に考えれば、一個一個名詞を持って独立できるもののような気がします。
全体を掴みきることは不可能に近いと思います。そこで、彼はある一つの物体をこの世の全体、と仮定して、その物体の中身を掘ったり砕いたりしてできたカスのようなものを部分として解釈します。砕いたモノの中には何か使える形のもがあるかもしれませんし、何にも使えないものもあります。そうやって色々な姿を見せる可能性のあるものを表し、考えることで真の全体性を図ったのだろと思います。
木の単体
こんな風に全体を見るために部分を探る、という思考方法や、恣意性を排除するように偶然をつくるやり方、次元を行ったり来たりするやり方はものすごく数学的です。
高松さんが精力的に制作をしていたのが1960~70年代。日本は高度経済成長の真っ只中、万博やオリンピックが開催され、国際化、情報化がちょうど激化した時代だったと思います。
そんな情報がどんどん多く、速くなっていく中で、全体を知ろうとしたのではないか、と。
全体を知るために部分を用いる、と言いましたが、その時触れた部分の事も考えざるを得なかったと思います。
現時代で彼の作風を持ってくるとしたら、60~70年代よりも明らかに多く、速くなった情報について考えざるを得ません。
増えた情報や増えたメディアを使って、全体と部分、次元のこと、言葉と物の意味性を考えるしかないと思います。
ということで明日のエスキスではそういう思考を含め、実験をもっていきたいと思います。
最近エスキスの時間が短くて先生と満足に話せないと思うので、そのことについて話したいと思っていますし、先生がブログを読んでくれるように差し向けようと思っています。
それでは。
本日、入梅
こんにちは、今日は入梅です。
雨の季節になりました。
明日ゼミなので、進行状況を。
わたしの尊敬するアーティスト尾形光琳。
まずは、原寸の「燕子花図屏風」を展示スペースに貼って、本物の大きさを体感。
A3を103枚、六曲一双は大きい。
この屏風は作品の前を人が通っているときが一番美しいと言われており、歩いている足元に橋があるとされているため橋が描かれていない。燕子花の中を歩いているようだ。空間を考えて作られていてわたしも作品に取り込みたいところです。
花の中を歩くイメージで空間に作品を作りたいと思う。
生の花を使い、新鮮さを閉じ込めようと模索中です。
樹脂やマニキュア、スチのりで実験。押し花は作り中です。
6月ですし、紫陽花を使いたいなーと思っています。
なにかよい方法があったら教えてくださいー
鈴木美緒
2015年6月9日火曜日
大きな 水たまりに 飛び込んで
べたついた 梅雨
かきわけても
かきわけても
じっとり 張り付いて
おでこに 滴る
昨夜 降りだした雨で
田んぼから 溢れ出た水は
タイヤから ペダルに
足に冷たさを 感じれば もう
漕ぐのは かんたんじゃあ ない
タイヤから ペダルに
足に冷たさを 感じれば もう
漕ぐのは かんたんじゃあ ない
カエル の声が 聞こえる
膝まで 浸って
せいいっぱい 息を すいこむ
あ カメラが 濡れた
けど もう 目の前は
水に 飲み込まれる
大きな 水たまりに 飛び込んで
(調布)
今日も歩いてました。
いや、自転車でした。
先週のゼミは、ビジュアルをもってこいとのことで何人かは好きな作家の好きな作品をプリントしてのエスキス。
私のエスキスは、
フィクションとノンフィクションぎりぎりがやりたい、ってことはなんとなくテーマとなりそうです。
その為に何をどうするのか、
・物理的にその場に何か私がする(置いたり、描いたり?)。
・私の制度、ルールを決めて(変えて?)もう一度路上を見る、読みかえる。
・場所を決めて、物語を紡ぐ。
などが土屋さんと田原さんと話していて出ました。
そんなこんなで次のエスキスまでに、
5個ほどスタディ的な作品をつくっていくってなりました。
なので今日は自転車に乗って5年ほど前に住んでいた家の近くをぐるっと回ってきました。
前はあんなにきつかった坂が小さく見えたり、知らないものが建ってたり、なんか胸がぎゅーっとしました。多分コレが切ないって言うんじゃなかろうか。ぐあああってよみがえる、断片的な画。細かいことは覚えてないけど。
知らないまち、住んでいるまち、記憶のおぼろげなまち、全部ちがう気持ちになる。
タナカカエデ
2015年6月6日土曜日
体を動かして作品を!!
昨日のゼミで話したように、次の金曜までに、全員、とにかく今頭の中にあることを、具体的な行動に起こして体を動かすように。
1日1つのペースで、作品を作って下さい。これはもちろん実験をすることなども含まれますが、次の金曜日には、それぞれが少なくても5パターンくらいの実験結果や作品、模型などなどビジュアル表現をプレゼンしましょう。
前に行った1日1制作と同じように、どんどん体を動かすこと。
もう6月に入って、あと1ヶ月もすると提出期限です。
今後のスケジュールのイメージをしましょう。
前に行った1日1制作と同じように、どんどん体を動かすこと。
もう6月に入って、あと1ヶ月もすると提出期限です。
今後のスケジュールのイメージをしましょう。
6/5-6/12 具体的な実験→方向性を仮決定
2015年6月4日木曜日
大山賢也 ft. Anish Kapoor & 大巻伸嗣 (Tsuchiya Radio Remix)
自分の好きな、影響を受けたアーティストを1人決める。これが思っていた以上に難しいのですが、文明の利器を駆使して調べていたところ言葉の壁にぶつかり、とある日本人アーティストに落ち着きそうでございます。ジパング最高。
自分が直感で好きだと思うものは大抵空間を広く使った五感をくすぐられるようなビジュアルアートが多い。最初に視覚、次に触覚、そして聴覚や嗅覚、時には味覚、嫌でも五感が刺激されるようなものである。
大巻伸嗣というアーティストは、子供の頃から街全体が遊び場だったという。家の屋根をつたって友達の家まで行ったり、道路でローラースケートをしたり。そんな少年時代の延長として今の作品があるのだと思う。遠くからただ眺めるだけの作品ではなく、実際に触ったり、作品の上に立ったり歩いたりすることで、鑑賞者の気持ちが自然に作品の中に入っていく。そうして、作品は「作品」として成立する。
そこにあるはずなのに普段は認識されていないもの、例えば空気や空間、または自分だったりもする。そういったものが、身体を介して見えてくる。アーティストが作った「きっかけ」の中に、実際に我が身を突っ込んでみて初めて、「認識」が生まれる。
いわば、「遊び場」なのである。オトナの遊び場。というと語弊があるが、オトナの遊び場、で間違っていない。多くを与えないシンプルな玩具を「きっかけ」として設置する。そしてあとは受け取り手にゆだねられる。それで受け取り手の心が動いたもんなら万々歳。それがオトナの遊び場、である。
大巻伸嗣のように、子どものときの遊び方は現在の感性、感覚に大きく関係しているのだと思う。小さな子は他人の目など全く気にしないで五感をフル稼働させて日々生きている。最高のアーティストである。最高から10年程経ってしまった今、最も輝いていた当時の感覚を思い出し、昇華させて制作に取り組んでいきたい。
挿入画像
1枚目 大巻伸嗣《Liminal Air Space-Time》
2枚目 大巻伸嗣《Liminal Air -descend-》
3枚目 Anish Kapoor
4枚目 Anish Kapoor《Cloud Gate》
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