2015年6月23日火曜日

昨日は夏至でした。

梅雨が本格的にはじまるのかなと思っていたところ、天気予報とは違い今日も鷹の台は晴れています。

わたしは今回設Ⅳで雨をモチーフにしようと決めました。その雨で空間構成をしようと思います。
雨が降り続く様は、単調のようで少しずつ変化しています。それは模様のように見ました。
尊敬するアーティストに選んだ尾形光琳作の「燕子花図屏風」は一分の一で燕子花が描かれ、屏風の前を通って風景を見ています。
田原先生から「光琳の描く風景は八橋の燕子花。では現代の風景とはなにか」と聞かれて、風景をどう捉えるか考えたところ、わたしは現代の風景が雨の風景に行き着きました。
雨の世界はどこか現実感のないような世界で、眺めていて飽きません。
リアルな雨ではなくわたしの見える雨の風景を作りたいと思います。
いま、雨模様の型を作って試行錯誤中です。
吹き抜けから見える雨。ひたすら流れていてきれい。

雨の型を抜き、色を乗せてみた。


鈴木美緒

2015年6月22日月曜日


おはようございます。岡です
もう提出まで2週間を切りましたので、最近は制作に入っています。
そんな中で、ぼくは高松さんの意識の根底には不在と実在というものがあるのではないかと思い、それについて自分なりに解釈しようと試みています。
高松さんが不在をテーマに掲げているのは、不在をつくり出そうとしたり、不在に向かっていったりしたのは、そこから実在というものをたぐりよせたかったからではないだろうか、と思っています。
ものがもつ不安定な実在というものは、実在だけに目を当てていても不安定なままです。そこで、より不安定な不在に目を向けることで、実在はいくらか明確化するのではないでしょうか。
彼が影を描いたり、河原の石を数えたり、文字に文字だけの意味を乗せたのも、そういう試みだったのだ、とぼくは思っています。

そして、ぼくなりの表現をどうしようか、と考えたときに、ぼくはいま、ラップでなにかを巻こう、ということを考えました。
画像はラップで巻かれた椅子です。






透明で薄いラップを何重にも巻いていくと、中に入っていたものがだんだん見えなくなっていきます。
ぼくは、ラップでものを巻くことで、その実在を不在化しようとしました。
不在化していくと、ものは最初のフォルムから離れて、なんなのかわからなくなっていきました。
そうしていくうちに、それ自体の意味や機能が奪われて、存在感だけが増していく感覚に陥りました。
ラップを巻いて形がだんだん面化していくのは、椅子自体の存在領域を視覚化しているのではないかと思い始めました。

”存在”という言葉の意味を辞書で調べてみました。
そこには、”実態・基体など他のものに依存することなく、それ自体としてあるもの”、と書いてありました。
上記のことから考えると、それがそこに存在する、ということは、ほかの何にも依存しない、ということです。
本当にそうでしょうか。
椅子は椅子だけで存在し、人は1人で存在するでしょうか。
座る、という”行為”や、その周りの”空気”はそのもの自体の”存在”ではないのでしょうか。
”関係”は存在とは関係ないのでしょうか。
机と椅子は関係をもっていないのでしょうか。その存在は別個でしょうか。
何かと何かが隣り合ったとき、期待される”配置”や”気配”は存在ではないのでしょうか。
それぞれなのでしょうか。机と椅子の間にある空間は存在ではないのでしょうか。
もの、そのものが孕むその空間のようなものも存在なのではないでしょうか。

不在は存在している、というのが現在のぼくの中での結論です。

2015年6月20日土曜日

エスキスの日

タナカです。
今日はエスキスでした。
方向性を決めないとねっていう週でした。


もっていったのは
1.撮ってきた窓そのまま写真用紙に出力したの
2.窓のみを写真から切り出したもの
3.2のスケールを1/20に統一したもの
4.3をコラージュしたもの
5.3をなんとなく配置しその周りのファサードを描いたもの























田原さんと話してでてきたもの
・もうちょっと違った窓の素材が見たい。(音、一時間の観察)
・オブジェや壁面を田中がつくるのではなく、撮ってきた窓から読み取れる物語?を再編集するくらいにしたい。
・窓と窓に余白をもうけて想像の余地を与える。
・作品のかたちを決める明確なとっかかりが無いためもうすこし、
窓の内側にはらんだもの、家の内側と外側について考える。言語化する。
・自分の日常とのリンクをする、繋がる感じ!
箇条書きですがこんな感じ。

イメージは
窓からのぞく、その家の日常をストーリー(テキスト)化して、本来別の場所にある窓と窓をからませたい。みたいな。

そんな感じで帰ってきたあとに、なんとなくテキスト化もしてみないと分からんなってことで打ってみたり。

















もっと違う書き方もあるだろうからこれは色々やってみる。
とりあえず明日、音か、動画か、一時間くらい観察か、してきたい。

来週までにフィニッシュの形みえてないとやばい。展示場所候補も。あと2週間。
田原さんなんかもっとこういうこと言ったでしょ!とか私が忘れてたらコメントとかください。

タナカカエデ


2015年6月18日木曜日

タナカです。

先週のエスキスでは何個かスタディを持って行きましたが、
その中で一番しっくりくるなと思ったのが窓を撮ったものでした。

最初は隣の家の窓、
次はその隣の、道路の向こう側の窓。

人が映っていなくても、
なんとなくその家のことがわかるような、
なんとなくどういう人が住んでいるような。

そんな窓の表情を集めたとこまでが前回のエスキスでした。

そこから今週なのですが、
前回に加え素材を増やしに歩きにいったり、
土屋さんからおすすめ?されたヒッチコック監督の映画「裏窓」を見ました。

主人公の部屋の窓から見える世界で話が進み、向いの建物の窓から住人を観察する。
はじめのほうは観察する、
途中で窓の向こう側の住人と関わり始める、
最後には向こうの住人が主人公の部屋に入ってくる。

窓の向こうの見ていた人に見られる、
その感じが怖いなって思った。

私が歩きながら人の家の窓を撮っているとき、一番ゾクってするのがその瞬間だ。

こっちが見るのは良くても見られるのはなー、っていう勝手な気持ちになる。
しかもその勝手にこちらが観察対象としている側に。

まあもっと感想としても、
主人公が窓の向こう側で起きていることを勝手に推理したり、
窓の使われ方が日本とは違うのかなとか、
ありました。面白かったです。

出てくる建物とかも好き。
ベランダに布団しいて寝ちゃう夫婦とか、
犬をカゴに入れてロープで3階から降ろしたりとか、
作曲家の家の窓もいいな、
そんな窓が面してる中庭の空間も。


そんな感じでこの後もちょっといろいろやってみます。


タナカカエデ




とってきた窓たち





おそくなりました

山本です。

アーティストをジョゼフ・ターナーに決めました。ぼんやりとした中にうっすら風景と光が見える後期の作品が好きです。

前回は和紙にアクリル絵の具でにじみを描き、それを自然光に通してみる実験をしましたが、土屋先生と話をして、ターナーの絵のにじみにとらわれすぎていたように感じました。ターナーの描く光にもっと焦点をあてて見ようと思いました。

作品の方向性としては、自然光の表現をテーマに考えていこうと思います。
今考えているものは、透けるものを使っての表現です。素材を探すと同時にもっと手を動かしていけたらいいです。

2015年6月11日木曜日

全体と部分

岡です。

ロスコについて考えておりましたが田原さんと話し合った結果、本質的に好き、というのはやっぱり高松次郎なんじゃないか、ということで高松次郎について考えています。

高松さんは「全体」と「部分」を考えていた人だということがわかりました。
全体っていうのは世界、とか宇宙、無限みたいなキリのないもので、部分、というのは、人、とか家、柱、犬とか単純に考えれば、一個一個名詞を持って独立できるもののような気がします。

全体を掴みきることは不可能に近いと思います。そこで、彼はある一つの物体をこの世の全体、と仮定して、その物体の中身を掘ったり砕いたりしてできたカスのようなものを部分として解釈します。砕いたモノの中には何か使える形のもがあるかもしれませんし、何にも使えないものもあります。そうやって色々な姿を見せる可能性のあるものを表し、考えることで真の全体性を図ったのだろと思います。

木の単体

こんな風に全体を見るために部分を探る、という思考方法や、恣意性を排除するように偶然をつくるやり方、次元を行ったり来たりするやり方はものすごく数学的です。


高松さんが精力的に制作をしていたのが1960~70年代。日本は高度経済成長の真っ只中、万博やオリンピックが開催され、国際化、情報化がちょうど激化した時代だったと思います。
そんな情報がどんどん多く、速くなっていく中で、全体を知ろうとしたのではないか、と。
全体を知るために部分を用いる、と言いましたが、その時触れた部分の事も考えざるを得なかったと思います。

現時代で彼の作風を持ってくるとしたら、60~70年代よりも明らかに多く、速くなった情報について考えざるを得ません。
増えた情報や増えたメディアを使って、全体と部分、次元のこと、言葉と物の意味性を考えるしかないと思います。

ということで明日のエスキスではそういう思考を含め、実験をもっていきたいと思います。

最近エスキスの時間が短くて先生と満足に話せないと思うので、そのことについて話したいと思っていますし、先生がブログを読んでくれるように差し向けようと思っています。

それでは。



本日、入梅

こんにちは、今日は入梅です。
雨の季節になりました。
明日ゼミなので、進行状況を。

わたしの尊敬するアーティスト尾形光琳。
まずは、原寸の「燕子花図屏風」を展示スペースに貼って、本物の大きさを体感。
A3を103枚、六曲一双は大きい。
この屏風は作品の前を人が通っているときが一番美しいと言われており、歩いている足元に橋があるとされているため橋が描かれていない。燕子花の中を歩いているようだ。空間を考えて作られていてわたしも作品に取り込みたいところです。

花の中を歩くイメージで空間に作品を作りたいと思う。
生の花を使い、新鮮さを閉じ込めようと模索中です。

樹脂やマニキュア、スチのりで実験。押し花は作り中です。
6月ですし、紫陽花を使いたいなーと思っています。


なにかよい方法があったら教えてくださいー

鈴木美緒