おはようございます。岡です。東京に帰ってきました。
鈴木さんが設Ⅳと卒研について書いていたのでぼくもそのことを。
設Ⅳはロスコについて。
いろいろ調べて分かったのは、彼は時代的にシュルレアリスムの影響を多大に受けていましたが、シュルレアリストではなかった。シュルレアリスムは、対象を分解していくのですが、彼の場合は対象を統合するという考えのもと、作品がつくられています。
また、リアルな実態の感覚、感知され得る質量の感覚を表現するときに、写実的な作風では表現できない、と考えているという事。
彼の絵を見るということは、顔料に移る光が常に不安定に揺らめき、画面上にとどまらない、その神秘的な絵画空間に入っていくということ。
彼の代表的な絵画は、四角いカンヴァス、何色かの色、四角い形で構成されているが、このような要素を使うことで、四角いカンヴァス、何色かの色、四角い形、その物質的な存在を越えようとしたということ。
こんなことがわかってきました。そこでぼくの分析なのですが、彼の絵画は、その画面上にとどまらない、そこで完結していないのです。それは、パソコン上や画集で見る絵画のように、均一な画面ではなく、そこにうつる光や空間をも内包していくのではないかと思います。それは非常に環境的で、そのものがそのものとして存在するためには、自分自身以外のなにか目に見えない環境によって存在しているのだと思います。
彼が自分の絵を他人の絵と一緒に飾らないでくれ、と言っていた理由もなんとなくわかります。
以上のことを踏まえて、ぼくは彼が非常に環境的な作家だったのだと思っています。
それを前提として作品をつくることにしようと思っています。
卒研については、認識についてです。
距離が離れれば離れるほど、時間が経てば経つほど、速度が上がれば上がるほど、人は「それ」を「それ」として認識できなくなるのではないか、と。
認識されなければ、そのものは存在していないのとほぼ同じではないかと思います。ただ、認識しづらくても、人はそこに存在し、モノはモノとして存在し続けます。
その存在と認識の問題についてを研究して卒制につなげたいと思っています。
こんなことを考えながら、いろいろと挑戦していきたいと思います。
次のゼミはなにかものを持っていかなければ。頑張ります。
おか
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